【WBC】宮城大弥の家族構成!スカウトされた可愛い妹や貧乏な生い立ちエピソードも!

宮城大弥の家族写真
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WBCでも活躍した、21歳で沖縄県出身のオリックス・バッファローズの宮城大弥投手。

そんな宮城大弥の「可愛すぎる妹」と話題だった宮城弥生が、
ホリプロ所属の芸能デビューを果たしたことで注目を集めています。

さらに5月22日の人生が変わる1分間の深イイ話では、仲良しな家族に密着もされていましたね。

そんな大注目の宮城大弥投手の家族構成やホリプロ入りした可愛い妹について、
さらに貧乏エピソードについて詳しくまとめていきます。


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目次
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家族構成

8人兄弟の10人家族

宮城大弥の家族は8人兄弟の10人家族ですが、実際一緒に暮らしていたのは両親と妹の4人と言われています。

朝日新聞デジタル

それには理由があり、宮城投手のご両親はそれぞれ再婚同士!


前のお子様として、

  • お兄さん3人
  • お姉さん3人

がいるそう。

ちなみに宮城投手は8人兄弟中の7番目だそうです。

全員で合わせると10人家族だけど、実際は4人で暮らしていたんだね〜

妹が可愛すぎると話題

宮城投手の妹は、WBCを応援する姿がテレビに流れた頃から可愛いと話題になっていました。

お兄さんとも大の仲良しで、WBC直後もInstagramにツーショットを挙げています。

スマホの待受も宮城投手の寝落ちの画像に設定していたのだとか。
「お兄ちゃんが大好きで、可愛いなと思って」と話されています。

Instagramより

いくら何でもお兄さん幸せすぎるでしょ・・・

ついに芸能界デビュー

そしてWBC優勝後、正式にホリプロ所属の芸能人になることが決定しました。

2023年 5月1日付けでホリプロ所属になりました!
宮城 弥生 です!
これからの事が楽しみでワクワクしています!
観ている方に笑顔や感動、勇気そして誰かの背中を押せるような人になりたいと思っています!
これからどうぞよろしくお願いします!

Instagramより

女優として活動するのか、モデルとしてやっていくのか・・・
方向性については言及されていませんが、これからの活躍がますます期待できますね。

5月21日には早速アッコにおまかせに出演。Twitterでも多くの人が反応を見せました。

これからどんどん綺麗になっていくのがとっても楽しみです。

両親はどんな人?

素敵なお子様を持つご両親はどんな人なのでしょうか?

父:宮城亨(みやぎとおる)さん

父親の享さんは宮城投手いわく、冗談を言う明るい方だそう。

しかし、実際は中学3年生の時に交通事故に遭い、
左腕の神経を損傷したため今も自由が利かない生活にあるそうです。

それでも夢を諦めず、高校卒業後は「映画の仕事がしたい」という思いで、アメリカへ。
メーキャップの養成所に入所し軌道に乗っていましたが、
ちょうどそのタイミングで実父が他界し、日本へ帰ることに。

宮城投手の父・享さん

帰国後は左腕の後遺症もあって、なかなか定職に就くことが難しかったそうですが、
宝くじで180万円を的中させたことをきっかけに貸金業を立ち上げ軌道に乗り、
那覇市内に飲食店や沖縄拳法空手道の道場を開設するなど、事業を広げていきました。

しかしそれも長くは続かず、倒産。

今はレンタカー会社に勤める傍ら、興南高校野球部の寮監も務めているそうだが、
宮城投手が高校に入るまでは、苦しい生活が続いたという。

「私にできることがあれば、何でもやってやりたい。もし万が一、(左腕の)大弥が肩や肘をケガするようなことがあれば私の左腕を使ってほしい。私は片手で十分。靱帯や腱、骨が使えるというなら、いくらでも使ってくれて構いません」

日刊ゲンダイより

波乱万丈ですが、息子思いの素敵なお父さんですね

母:宮城礼子(みやぎれいこ)さん

宮城投手が所属していた沖縄の野球チームの監督によると、
母親の礼子さんは、朗らかで大人しい印象だったそう。

日刊ゲンダイ

なかなか定職に就けない父親と一緒に、パートタイムで働きながら子育てをしていたそうです。

熱心に野球を応援していましたが、遠征は高くてなかなか駆けつけられなかったそう。
宮城投手は遠征の度に「ごめんな、いつか必ず恩返しするから」とお母さんに言っていたそうですよ。

なんて良い息子なんでしょう。有言実行していてかっこいいです。

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貧乏な生い立ちエピソード

素敵なご家族である宮城家ですが、
宮城投手が小さい頃はお父さんの仕事のこともあり、相当貧乏で苦労したそうです。
どんな生活だったのかご紹介していきます。

琉球新報

6畳1間に4人で生活

宮城投手も各メディアで「貧しかったが野球をさせてくれた」と語るほど貧乏だった宮城家。

なんと6畳1間に家族4人で生活していたそうです。

「大弥が育った宜野湾のアパートは6畳1間。そこに家族4人で暮らしていました。横になって寝るのも大変で、私か妻が座って寝ることもあったくらいです」

文春オンラインより

6畳というと、社会人になって初めてする一人暮らしの平均ですよね。

そこに家族で寝るとなると相当大変で、
畳一間に仏壇やテーブル、テレビやタンスを置き、冷蔵庫はベランダへ出していたそうです。

光熱費や遠征費が払えなくても野球を諦めなかった

そんな貧乏だった宮城家は光熱費・ガス・水道代が払えず、お風呂が入れないことも。

宮城投手が小学3年生の頃、チームメイトに「くさい」といじめられ、
野球を辞めてしまおうと思ったこともあったそうです。

Twitterより

さらに野球の遠征費は80万程かかり、なかなか払えず支払いを待ってもらうことも。
育ち盛りの男の子ですが、食事もろくに取れず苦労したそうです。

暑い日には近くのスーパーの冷房で涼むこともありました。月末はメリケン粉を焼いて食べたり、具のないカレーを1週間食べたりしたこともよくあった。今では笑い話にできるけど、当時はつらかった。

文春オンラインより

さらに野球道具をろくに揃えることもできず、
ユニフォームはつぎはぎだらけ、グローブはビニール製の700円のものでした。

Twitterより

そんな貧乏生活でしたが、宮城投手は「いつか両親に恩返ししたい」の一心で野球を続けていました。

そして宮城大弥基金設立へ

そんな貧乏な生い立ちだった宮城投手は、

自分と同じように経済的な理由でスポーツを断念せざる得ない沖縄在住の子どもたちを対象に、
用具や遠征にかかる資金を援助することを目的として、「宮城大弥基金」を設立しました。

宮城大弥基金HPより

プロ入り前から、宮城大弥は当基金の理事である父と約束していました。
将来を経済的な理由で断念しないようにサポートする団体を創ろうと。
2022年にその夢が叶い、当基金の発足となりました。

宮城大弥基金HPより

自分たちと同じような思いをする子供を減らそうと、お父さんと約束していたのですね。

自分の経験を糧に活動できるのは、本当に素晴らしいです。

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まとめ

WBCで活躍した宮城大弥投手の家族構成や貧乏エピソードについてご紹介しました!

宮城投手の人柄や活動が素晴らしく、ご両親も素敵な方でした。

芸能界入りした妹さんの活躍もますます楽しみです。

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